鹿月秋の晴耕雨読

鹿月秋(from-origin design)の、他愛もない、そして、くだらない日常を無駄な長文で綴っています。
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1・17の記憶
現在、執筆中です。

これは、阪神・淡路大震災の時、
僕が何を見て、何を感じたのか、
という感情をベースにした物に
なる予定です。


誰かに読んでほしい、とか、
知ってほしい、とか、
そういった性格のものではなく、
ただただ、単に、僕の中で、風化
あるいは剥離していってしまうものを
「文字」として残しておきたい、
そう考えたからです。


忘れてしまうのが、怖い。


そう思っているのかもしれません。


少しずつですが、ポストしていきます。



とりあえず、執筆宣言、てな感じですかね。
| 鹿月秋 | 阪神・淡路大震災 | comments(0) | trackbacks(0) |
阪神・淡路大震災、当日。
忘れない、忘れるはずがない。


僕は、本当に、そう思っていた。


こんな言葉がある。

「人の優れている、1番の能力。
それは、忘れること、である」


震災を知らない市民が3割に
達した、というニュースを見た。
(2007年1月現在)

その3割に、転入者も含まれているのか、
また、僕のような転出者は、残りの7割には
入っていないのだろう、とか、算出方法まで
確認していないのですが、あんまり、その
数字の正当性を感じませんけど、その一方で、
果たして、僕は、ちゃんと、あの日の事を
記憶しているのだろうか、という疑問が
浮かんだんです。

そして、ずいぶん、剥落しているな、と思う。


こんな言葉がある。

「人の能力で2番目に優れているもの。
それは、思い出すこと、である」


あるいは、こうやって、今までやってこなかった、
書き出すという行為で、剥落してしまった記憶や
気持ちを見つけ出せるかもしれない。


そんな打算が、ここにはあるだけです。

読んでほしい、とか、伝えなくては、とか、
そんなんではなく、ただただ、忘れてしまいたくない、
それだけなんです。



■■■概要■■■
・名称
平成7年(1995年)兵庫県南部地震

・発生日時
平成7年1月17日(火) 5時46分

・震源
兵庫県淡路島北部
北緯 34度36分
東経 135度02分

・震源の深さ
約16キロメートル

・規模
マグニチュード7.2
(平成13年4月23日気象庁が7.3と訂正)

〜神戸市ホームページより〜
■■■■■■■■■■■■■■■



アラームが鳴っている。

隣で眠る兄を起こさないように、
素早くアラームを止め、リビングへと
移動した。

僕は高校2年生で、その日は、ちょうど、
学校行事があって、僕は、その実行委員
だった。

実行委員は、他の生徒よりも早くに
集合場所へと行かなければいけなかった。

6時前だというのに、すでに、母は起きていて、
キッチンに立っていた。

昨夜のうちにリビングへと移動させていた
大きなバッグが、寝起きの僕の足下で、
パンパンにふくれあがっている。

まずは、顔を洗おう、と洗面所に向かう。

洗面台に向かい、蛇口をひねり、
腰を90°にかがめ、両手で、その水を
すくおうとした。


その時。


その瞬間の記憶は、僕には、ない。


僕は、洗面台から少し飛ばされ、隣に
設置されてあるトイレのドアにぶつかっていた。


横揺れ。


僕らが住む家は、マンションの13階にあって、
公表されている「震度7」の地域帯には属しては
いないものの、マンションは、竹のように
しなっているのが、分かるほどだった。

「ジェットコースターのようだった」
と、僕は、それを、そんな風に例えたことが
あるが、本心では、そんな風には思っていなかった。

生命の保証がされたソレとは、
まったく別物で、圧倒的に本物の、

恐怖。


僕は無意識のうちに、両手で頭をかばい、
その場に、しゃがみこんだ。

横揺れで、背中が、トイレのドアに
何度も、何度もぶつかる。


おかしなもので、その時、僕の頭の中にあった
映像は、まるで、アメリカンコミックみたいだった。

バットマンのような、全身が真っ黒の衣装を着た
大男が、僕に、力いっぱいの前蹴りを入れる。

トイレのドアは、まるで、リングロープのように
正確に、大男の元へと僕を返し、また、前蹴りを食らう。

そんな映像だった。

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ、

という大地が鳴っていたような気もするが、
実際のところ、膨張した音たちは、すでに
僕の耳では、それらを感知することは
できなかった。

あるいは、僕だって、大声で、叫んでいたかもしれない。

うわぁぁぁぁぁぁぁっ、と。

食器棚や冷蔵庫、タンス、テレビ、それから、
ここに引っ越してきた時に父が日曜大工で
作り上げた背の高い、レコードや本が収まっていた棚。

それらが倒れた音さえ、分からなかったくらいに
音で埋め尽くされていた。


観測によると、揺れは、およそ30秒ほどだったらしい。

僕には、「分」単位に感じた。


揺れが、静まった。


本物の静寂。


苦しいくらいの、静寂。

動けない、声も出ない、でも、目だけは、
真っ暗な部屋で、何かを見つけようと、
キョロキョロさせていた。

下手に動いたりすると、何かを刺激してしまうのでは、
というような事さえ真剣に思っていたかもしれない。


余震。


それでも、声をあげずには、いられない。


あるいは、それは、叫び声。


収まり、また、静寂。

母が、呼びかける声がする。


「大丈夫?みんな、大丈夫?」


うまく、声が出せない。

どこかで、うめき声が聞こえる。


僕は、精一杯、声を振り絞る。

「俺は大丈夫やでっ!」

続いて、妹と父からも、声があがる。


しかし、兄からは、声が聞こえない。

当時、僕と兄は、1つの部屋をシェアしていて、
もちろん、僕の頭の中では、それらの家具の
配置が頭にあって、それらが、倒れたとすると、
就寝中の兄に、どういう影響を及ぼすか、
それは、残念な事に、容易に想像された。


僕は、僕の頭の中で出した回答に、
気づかないフリをして、兄の名前を
叫んだ。

1度。

2度。

3度。

4度。

その時、扉が、スッと開き、
兄の声で、

「どうしたん?」


僕は、その言葉を聞いて、最初に思ったのが、
怒り、だった。

どうしたも、こうしたも、である。


もちろん、これには、彼の、その状況を
考えれば、分からなくはないのだが、
その時は、そこまでの余裕は、僕には、
なかった。

実際に、彼は、タンスと、本棚と、机と、
それらが兄に向かって倒れたにも関わらず、
それらが、全て、兄に向かって倒れたが故に、
偶然的に作り出された、ごくごく狭い、兄が
眠っているスペースを覆う形で、互いに、
支え合っていた。

それを瞬時に、何か、という事を
判断できる人間など、おそらくいないだろう。

家族全員の生命が確認されると同時に、
どこかで、ホッとしたのか、僕は、
ある異変に気づいた。


お尻が、冷たい。


最初に、僕が思ったのは、こんな事だった。

「漏らしたのか?俺は。」

しかし、確認してみると、そうでは、ないらしい。

しばし、考えて、ある答えを導きだした。


そう、それは、トイレの水が、こぼれだし、
それrが、かかったのだ、と。


これは、数時間後に、考えが間違っていなかった事が
証明されたのだが、残念ながら、電気も寸断され、
太陽も出ていない、冬の朝では、すぐに確認する事は
許されなかった。
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