鹿月秋の晴耕雨読

鹿月秋(from-origin design)の、他愛もない、そして、くだらない日常を無駄な長文で綴っています。
鹿月秋の晴耕雨読

SEARCH in this site
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | - | - |
一人暮らしと一升瓶
タイトルに、特別、意味はございません。


人の名前で、「圭右(けいすけ、偽名)」
とかってありますよね。

「右」と書いて「すけ」と読む。

これに、「にんべん」が入ったものの
あります、「圭佑」。

人の右で「すけ」


その一方で、名前に「左」が入ることは
ありません。

ああ、あるか、「土左衛門」とか。

でも、これって、明らかに当て字っぽいですよね、
「右(すけ)」に比べると。


「にんべん」に「左」ってあったっけ?
ああ、「佐藤」の「佐」だ。


んんん、どうしよ、言おうとしたことが、
さっそく崩壊しております。


名字に「藤」がつくのは、藤原定家だか、
藤原道真だか、藤原鎌足だかの血族とか
いう話を聞いたことがあります。

とか言いながら、公文書以外で「藤原」を
名乗っていないので、実は、明治の、皆姓で
そう名付けたとかも言われていたりですが、
今回は、それについては、知らないフリを
する所存です。


面白いな、と僕は思うんです。

「右」は名に存在していて、
姓には存在していない。

「左」は姓には存在していて、
名には存在していない。




このブログを、最初の頃から読んでいただいて
いる方は、気づいているかと思うのですが、
「右」と「左」について、異様に執着している
という事を。

なぜなのか?
と自問自答してみました。

たぶん、こういう事なのです。

たとえば、「手」というものを対象にすると、
手は、左右、同じ機能を有していて、それに
同じ機構で動いているわけです。

なのに、個人によって、その能力は
動的なものと、静的なものに別れている。

僕には、それが、不思議で仕方がないのです。


今ここに、同じメーカーの鉛筆が2本
あったとして、僕は、そのうちの1本を
描くためのものに、もう1本を消し潰すために
使うのか、と問われれば、「NO」と答えるでしょう。


おそらく、と僕は思うのです。

「右」で可能なことは「左」でも可能である、と。

だから、それを、無意識のうちに差別化している
ことに、少なからず驚いてしまうんです。


たぶん、それは、僕個人の問題なのですが、
「常にフェア(公正、あるいは平等)で在りたい」という
価値観に由来しているのでしょう。


侵略のための銃器と、平和のための銃器が
イコールと感じれない、そういう心象。

銃器は、やはり銃器で、どう考えても
殺傷能力を有しているわけです。


同じ能力を有していて、それを、いかに
使うかは、個人(あるいは国家、文化)で
んんん、何だろ、でも、その差異が、すごい
気になるんでしょうかね。


なんか、ますます混迷を深めただけだな、
これぢゃ。
| 鹿月秋 | 右と左と | comments(0) | trackbacks(0) |
たまには、右側からもお乗りください。
さて、昨夜の「自転車左乗り」の続編です。

続編です、とか言いながら、別段、
「これだ!」というような理論の帰着は
見事にできずですが、むんむん、妄想展開
していく所存です。


左側通行の日本、というカテゴリで考えていくと、
たとえば、自転車を押して歩く際に、対向する
自転車を押す人が現れた場合、人同士が接触
しないために、自転車の左側に降り立つのでは
ないか。

また、歩道のない道路を、アナタが愛しい人と
歩いていて、その人が自転車ではなく徒歩で
あった場合、法規に準拠して、2人乗りを選択せず
自転車を押して歩いている、というシチュエーション
を考えてみると、愛しい人と、より近くにいたい、
という深層心理に加え、後ろからやってくるだろう
車からの防御のために、アナタは、自分の右側に
自転車を、左側に愛しい人を配置するのでは
なかろうか。

という局所的要素だけをピックアップすれば、
なるほど、「自転車左側乗り降り論」は
理にかなっていると言える。

かなっている、というか強引な論理展開ですけどねー。


あ、今思いつきました。

たぶん、これだ。

自転車のチェーンって、自転車のどちらの
側面に存在していますか?

そう、右側です。

全ての自転車が、そういう構造なのか?
という疑問が頭をよぎります。

僕がスウェーデン(右側通行)で乗っていた
自転車も、また右側にチェーンがありました、たしか。

そもそも、自転車という道具は、ヨーロッパから
輸入させたものであるはず。

自転車発祥の国が、どこの国なのか、僕は
知りませんが、もしかしたら、ここに起源を
発するのかもしれません。

つまり、こういう事です。

チェーン=油まみれ

服をチェーンの油で汚したくない、という
心理から、人は、自転車の左側から乗り降り
することになったのではないか。

いやぁ、僕も、自転車に乗っているのですが、
右のパンツの裾だけ、油汚れがヒドいんですよね。

あれ?けっきょく汚れてるな、これだと。

えっと、ほら、どこだっけ?
インドだっけ?

どっちかの手が不浄の手で、食事する時は、
どちらか一方だけっていうのん。

ま、そんな感じです。

何が言いたいのか、というと、不浄なものからは
宗教性とは関係なく、心理的に遠ざけたいはず。

英語でも「正しい」を意味するのは「right(右)」だしね。


neneさんのコメントや、友人からのメールで、
ハタと気づいたことがあるんです。

アジア圏なのか、日本特有なのか、分かりませんが、
左利きはダメという風習がありましたよね。

今は、そんな事はないのでしょうが、僕が
幼い頃には、まだ、そういった風習が残っていて
ペンは左でも、筆は右に矯正されたとか、お箸を
持つ手を右手に矯正されたという話は、珍しく
ありません。

まったく、ボクシングの世界では
「左(ジャブ)を制するものは、世界を制する」
という言葉もあるっていうのに。

実際に、天才と呼ばれている人には左利きが
多いという話もあるっていうのに。


何の話をしているのか、皆目、検討がつきません。



今、思い出したのですが、ヨーロッパの人ってね、
自転車を押す時に、片手で押していることが多いですよね。

そう、その手は、たしかに、右手でした。

昨夜の話の中で、「利き手を決める要素」的な
話をしていましたが、ようは、よく使うほうが
便宜的に「利き手」と言われる、という話です。

そこから考えてみると、「利き手」で自転車を
押す、世界の人口の90%が右利きであるという事実、
右手で自転車を押す、という展開なんか、いかがでしょうか?

自転車を押して歩く際に、右手でコントロールする
という事は、つまり、自転車の左側に立つという事に
なりますよね。

だから、自転車に乗る時は、そこからの延長線上に
あるのではないのか。



友達からのメール。

「私は、右側から自転車に乗ります」


いいんぢゃないかな。

たまには、みんなも、右側から
乗ればいいと思うよ。
| 鹿月秋 | 右と左と | comments(0) | trackbacks(0) |
どうぞ、左側からお乗りください
新潟のお酒を飲んでいたら、
そういえば、友達から吟醸ゼリーなる
ものをいただいていたな、と思い立ち
さっそく封を開けると、今、飲んでいる
お酒よりも、よっぽど良い香りがして、
「さすがは吟醸!」とか思いつつも、どこか
「今、飲んでる酒って、いったい」とか
思ってしまうわけです。


で、これは、まったくオープニングトークでも
何でもなく、ただの戯れ言で、これから書く事には
全く関係がございません。




僕は、彼女の後ろを走っていた。
彼女の走りは、速いとは言いがたく、
それでも、とくに急いでいるわけではない
僕は、無理に追い抜くこともせず、
ぼんやりと、その小さな後ろ姿を見ながら
走っていた。

彼女の足下を見やると、実際には聞こえては
こないが、ギーコ、ギーコと、手漕ぎボートの
オールの鳴き声でも聞こえてきそうだった。

しばらくすると彼女は、左脚を大きく蹴り上げ、
またぎ、右側へと降り立った。


自転車で、僕は、通常、左側から乗り、
左側から降りる。

なのに、彼女は、スルリと右側へと着地したのだ。

「おおっ!」
と僕は一人、感動してしまった。

右利きの松崎しげるが、ギターを左で弾くのは
テレビを見ながら練習したせいだ、という話を
聞いたことがある。

あるいは、彼女も、そうなのかもしれない。


記憶を呼び戻す。

それは、実家近くの公園の早朝。

僕は、小学校に上がったばかり。

公園には、小さな僕の自転車と、父ちゃんと
兄ちゃんがいて、僕に自転車の練習をしてくれている。

たしか、と思う。

あの時にはすでに、僕は左側から自転車に
乗っていたのではないか、と。

僕の知る限り、自転車は、たいてい、左側から
乗って、降りるもの。

それ以外のケースを見たのは、先述の彼女くらいだ。

あ、一応、申し添えておくと、「彼女」とは
恋人関係の彼女ではなく、偶然、僕の前を走って
いた壮年の女性で、もちろん、見知らぬ人です。


日本は、左側通行。
これは、当時、世界で一番の先進国であった
イギリスの交通法規を真似たからで、たしか、
国鉄(現JR)のレールの幅も、イギリスと同じ
仕様にしたとか。

ということは、日本では、自転車は法律上
軽車両に含まれるので、車側、つまり、
歩行者の右側に自転車があるべき、と
考えられたからなのでしょうか。

では、ヨーロッパの人々は、自転車を
自転車の右側から乗るのか、と考えてみると
僕の記憶するところでは、やはり左側だった
ような気がします。

ということは、交通法規的な事情ではない
と考えられるのではないでしょうか。

次に、考えられる事といえば、利き手。

以前に調べたところによると、世界の
左利きの人口は約10%だと言われているのだ
そうです。

世界、60億人のうち、実に、54億人が
右利きということになりますね。

ルールというものが、多数決で決まるという
前提で考えた場合、この右利きが、自転車を
左側から乗ると定めたのでしょうか。

仮に、そうであったとして、では、
なぜに、右利きが左側から自転車に
乗ると決めたのか、である。


ここで、「利き手」の定義付けをする必要が
ありますね。

以前にも書いたことがあるのですが、「利き手」を
決める決定的は事項というものは存在しないのだそうです。

通例的に、右と左の使用頻度によって、個人の
利き手が決められるとされているようです。

ちなみに、最近の脳生理学の研究で、脳の
ある時点での成長具合で、利き手が決定される
というような話があったように思います。
(記憶がおぼろげですので、鵜呑みにしないでくださいね)

ここでは、よくモノを持つほうを利き手として、
便宜上、「ペン」、「お箸」、「じゃんけん」の
うち、多いほうを利き手とします。

あれ?利き手の定義付けってする必要がないよな、今。

ま、いいや。


右手を利き手として、利き手が「よく使う方の手」と
便宜上、想定して、です。

自転車を漕ぎだす時、この場合、右足がペダルの上で
左脚が接地していて、左脚で地面を蹴りだす事で
動き出せるわけです。

あれ?
陸上競技のハードルや、走り高跳び、走り幅跳びの
踏切足って、利き足の逆で当ってたっけ?

利き足の逆の足が軸足で、軸足が、最後に
地面から離れるんですよね?



ああ、ごめん。

ちょと、ほんとに分からなくなってきたので、
これ、次回に持ち越しさせてください。
| 鹿月秋 | 右と左と | comments(5) | trackbacks(0) |
右と左と、小説と。
今日、4月13日は宮本武蔵と佐々木小次郎が
巌流島で決闘した日なんだそうで、さらには、
上沼恵美子の誕生日なんだそうです。

そんな上沼恵美子ファンの僕の友達
ブログで知ったんですが、先日の東京都知事
選挙で、面白い政見放送があったんですってね。



まぁ、内容はともかく、この後、彼は
熊本に飛び、熊本でも選挙に出馬するんだそうですよ。

まぁ、それにも興味はないのですが、
本人の主張の前にアナウンスで「極左活動家」
というふうに紹介されていたんです。


ここ最近なのですが、「右翼」、「左翼」
っていう言葉が気になるんですよね。


その言葉の意味も、漠然と分かっているようで
実は、ぜんぜん、説明できる自信もないですしね。

たぶん、これは、奥田英郎の『サウスバウンド』
という小説を読んで以来(これが、本当に面白い
作品で)、なんとなく気になるんですよね。

つい先日も、店の近くに本屋さんがあるんですが、
そこで「左翼って何?」とかいうタイトル(ウロ覚え)
の本があって、それは、小さな子供が父親に向かって
「左翼って何?」と質問して、それを、子どもに
分かるように説明するっていうフランスの本を
少しだけ立ち読み。

けっきょく、買ってないんですけどね、
思ったよりも高くて。

僕が好きな自称・非流行系作家さんのブログの
中で、右翼と左翼を、その歴史も含めて解説している
本が紹介されていて、やっぱ、気になるんですよね。


これまで、僕は、小説しか読んでこなかったんですが、
たまには、そういったジャンルの本も読んでみても
良いのかな、なんて思っているわけです。

春だしね、新しいことにチャレンジするには
良いタイミングかな、なんてね、思うわけです。
| 鹿月秋 | 右と左と | comments(0) | trackbacks(0) |
『手』

【手】
1)腕の末端にある器官。
2)手段、方法。
3)将棋などでは、1回の動作。
4)相撲などの技の数え方。
5)仕事や、役割を表す場合もある。
 騎手、選手、聞き手、とか。
6)どれほど、若作りしていても・・・。


今日、定連さんが、彼女さんを伴って、
ご来店されました。

そこで、少し、お話をさせていただいたのですが、
年齢の話になり、「三十路です」と答えると、

「若く見えますね」

とか、言われたんですよね。


正直、ここ2年くらいは、よく言われます。


ええ、だって、それは、成果が出ているからですよ。


すんげぇ、若作りしてるもん、俺。



僕が、20歳くらいの時は、そんな風には
言われたことがありませんでした。

もっと、年上に見られたものです。

僕は、それを、「大人っぽい」という
解釈でもって、納得していたんです。


それでも、僕がスウェーデンにいた頃、
向こうで出会った日本人の方に、

「君って、僕と同い年だよね」

と聞かれて、その人の年齢を聞いたら、
「34歳だ」とか答えられて、当時、
僕は、22〜3歳くらいだったので、
相当、面食らったこともあります。


21歳くらいの時にサラリーマンを仙台で
していたのですが、その時の先輩に、

「アンタは若いクセに、若作りしているから
老けてみえる」

とかも言われたことがあるなぁ、そういえば。


ああ、そういや、青森に住んでいた時に、
同僚から、「オッサン」と言われたような
気がしてきた。

まぁ、アレです。


きっと、僕は早熟だったんですよ、きっと。

最近は、それに、ようやく、実年齢が追いついて、
気づけば、追い抜かされていた。

そういう事なんでしょうね、きっと、たぶん。


今日、引っ越しを手伝った友達から
「シャツ、あげるから、おいで」
と連絡をもらって、喜々として行ったんです。

シャツ3枚と、ネクタイ4本をクスねてきました。

その後に、ご飯を食べに行って、カウンターで
ビールを飲みながら、けっこう、真面目な話を
していたんですよね。

「いやぁ、それは分かるけどさぁ、」

と言いながら、揚げナスの煮浸しに箸を伸ばした
僕自身の手が視界に入ってきて、驚いてしまったんです。


えっ、何これ。

マジですか。

ってなモンです。


爪の辺りがね、すんごい、シワ。

縦横無尽のシワ。


僕が話をしていたのにも関わらず、
「うわぁっ」
とか、声をあげてしまったわけ。

で、僕よりも、いくぶん、年下の友達の
手先を見ると、ぜんぜん、シワなんて
ないのな。


嫌んなっちゃうのな、こういうのってば。


マジメな話、そのレベルには、まだまだ、
到達していない、そう思っていただけに
けっこう、ショックでした。

よく言うでしょ。

「手は顔ほどにモノ言う」

そんな言葉。

無縁だと思っていた、そんな言葉が、
実に、他人事ではなく、自分に起きて、
それを、うまく昇華も、消化もできない。


たしかに、とも思う。

2日前に手伝った友達の引っ越しで、
ちゃんと次に日には、筋肉痛になって、
安心してたら、当の本人からは、

「次の日だけ筋肉痛になった」

とか言われて、実際、僕なんかは、
未だ、ふくらはぎとか痛くてさ、
疲労回復が、少なくとも、鈍化してるのかな
なんて、思わざるを得ないのかもな、ホント。


「こんな時は、銭湯にでも行こうかな」

なんて、ほんのり思っていたら、
友達から、「銭湯に行こう」と
声がかかり、行ってきました。

いいね、銭湯。

足が、僕の部屋にあるユニットバスではできない、
伸ばせるのが、何よりも、素敵っ。

かなり、気持ちよかったです、ホント。

本当は、その後に、強い酒でも飲みに行こう
と言っていたのですが、銭湯から出ると、
小雨が降り始めていたので、今夜は、断念。



小雨に身体を小さくしながら、自転車で
帰宅しつつ、僕は、それでも、こんな風に
思うのです。


若作り、という手を使ってでも、僕は、
手を尽くしてやろうかと思う、所存なのです。
| 鹿月秋 | 右と左と | comments(3) | trackbacks(0) |
<new | top | old>