鹿月秋の晴耕雨読

鹿月秋(from-origin design)の、他愛もない、そして、くだらない日常を無駄な長文で綴っています。
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父ちゃんの自転車
 9月の半ばに自転車がパクられて、
今は、父ちゃんの自転車に乗っている。

父ちゃんの、トライアスロンで乗っていた
レース用の自転車は、ドロップハンドルが
ついた、当たり前だけど、本格的なもので
残念なことに街乗りには適さない。

でも、これまでのママチャリと違い
よく走る。

これが、楽しい。

コーナリング、直線。

自転車と一体となる感覚が、気持ち良い。



「その自転車、どうしたん?」
と、よく聞かれる。

ぼくは、「オヤジから、もらった」
と答えていた。

それは、正しくはないが、ウソでもない。



父ちゃんが死んでから、およそ、一ヶ月になる。



お通夜の、皆が寝静まった深夜、
僕は、父ちゃんの眠る棺の隣に一人でいて、
これまでの人生の中にないくらいに泣いた。

泣いた、というか、もう、どうしようもないくらいに
次から次へと涙が溢れて、溢れて、溢れた。

それは、風邪の初期状況の鼻水と同じで、
止めようとしても、どうにもこうにも
止まらないのである。

隣の部屋では、兄ちゃんが寝ていて、
けして壁が厚いとは言えないマンションでは
声が聞こえてしまうので、ぼくは、なんとか
嗚咽を食い止めてはいたのだけれども、
涙だけは、どうにも止めることができなかった。


だから、ぼくは、もう、すっかり、父ちゃんの
死について涙を流すことはないだろうと思っていたのだ。

それが、である。

今日、今まで言いそびれていた、
どのタイミングで言って良いのか
分からなかった「父ちゃんが死んだ」ことを
口に出した途端に、ぼくの涙腺は、味噌汁の
豆腐みたいに、フニャフニャになってしまった。


「レヴォリューションNO.3」(金城一紀/角川書店)の
中でロッキーさんという登場人物が、たしか、
こんなことを言っていた。

「遠くに行っちゃった人間はズルいね。
残った方の人間に自分が悪いみたいに思わせる。」
と。

そして、こう続ける。

「(中略)人間、生きてナンボよ。」


そう。
人間、生きてナンボなのだ、
明石屋さんまも、そう言っていたはず。


母ちゃんは、ここぞとばかりに、
あるいは、何かから吹っ切るために
もりもり実家の内装を変えている。


「自転車のハンドル、変えたら?」
と言われるけど、ぼくは、変えないだろうな、
とりあえず、今のところは。



女は男よりも強し、である。



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